第八話「春菊の遺産」


偉大だった父

偉大過ぎた父

あの人の子ならもっと出来る―

あの人の子なのに何故出来ない―

あの人の…あの人の…

まるで録音機でも聞かされているように

毎日…毎日…

私は私

それを認めてもらいたかった

その為に私は一所懸命に努力した

そして―

さすがはあの人の子だ―


またそんな事を聞きに学校に行かなければならない

初めの頃は辛かった

二の次にはいつも父の名

私は私なのに…

誰も私のことをまっすぐに見てくれない


でももう慣れた

慣れたけど―

やっぱりちゃんと見て欲しい

ちゃんと認めて欲しい

私は私―

あの人の子供だけど―

私は私―

父とは違う―

父の変わりでも無い―

私は私でしかないと…


「朝〜、朝だよ〜、朝御飯食べて学校行くよ〜」
「な、名雪か!?」
 名雪の突然のモーニングコールに私は驚き、怒涛の勢いで蒲団から這い上がる。しかし当の本人は私の眼前には居なかった。
「一体どうなっているんだ?」
 ふと耳を澄まし、声の音源を辿る。どうやらその声は、昨日名雪が私に渡した目覚し時計から鳴り響いていたようである。
「声付きの目覚ましか…。悪くは無い。だが、エレガントとは言い難いな…(C・V置鮎龍太郎)」
 そう言い、私は目覚ましを止め、着替えを始める。
「ジリリリリ……」
「な、何だ〜!?、空襲警報か?北が攻めて来たとでもいうのか!?」
 着替えを終え部屋を出ようとした刹那、突然、辺りに轟音が鳴り響いた。
「ええいっ、正日め、ついに来おったか!!さすれば日本男児の誇りと大和魂を持ち、必ずや返り討ちにしてくれるわ!!」
 そんな事を呟きながら、急いで窓を開け、外を見る。すがすがしい青空である。どうやら北が攻めて来たのではない様だ。
 轟音の正体を確かめる為、とりあえず廊下に出てみる。耳に神経を集中し音源を探る。その結果、この音は名雪の部屋から聞こえてきていると判断出来た。
「お〜い、名雪〜、この音は一体何なんだ〜!」
 叫びながら名雪の部屋のドアをノックする。しかし反応無し。
 音の正体を確かめる為、多少戸惑いながらも名雪の部屋に入る。そこで私は戦慄を覚えた。
 無数に置かれた目覚し時計。それらが一斉に鳴り出し轟音を奏でている。そして部屋の中央には、巨大な蛙のぬいぐるみを抱き、何事も無かったように眠りに就いている名雪の姿が見えた。
「連邦のモビルスーツは、化け物か…(C・V池田秀一)」
 思わずそんな台詞を口にしてしまう。それにしてもこれだけの音で目を覚まさないとは…。
(これは本当に北が本土攻撃をして来た時は、家と共に心中だな)
 ともかく私は轟音を奏でる目覚ましを止め、強引に起こす事にした。
「おい名雪、起きろ、起きろ!!」
 名雪の体を必死に揺らす。
「く〜…あめゆじゆとてちてけんじや…く〜…」
「寝ぼけてる場合か!起きろ、学校に遅れちまうぞ!!」
 しかしその後、幾度と無く名雪の体を揺らすものの、進展は何一つ無かった。
(これだけの音で目覚めない名雪を、一体どうやって起こせというのだ…。「ザメハ」でも唱えられれば別だが…)
 色々な思案を張り巡らせていた時、ふと、ある考えが頭の中を遮った。
(そういえば、私が歌などを口ずさんでいた時は、あちらから自然に起きてきたな…。成功するか否かは分からぬが…、一つ試してみるか…)
「名雪、俺の歌を聞け〜!!(C・V林延年)ガガガッ ガガガッ ガオガイガー♪ガガガッ ガガガガッ ガオガイガー♪♪…空間歪曲!ディバイディング・ドライバー!奇跡〜♪神秘♪真実〜♪夢♪誕生!無敵の〜♪ドでかい守護神〜♪僕らの勇者王〜♪ガッガッガッガ〜♪ガオガイガー♪♪」
「うみゃぁ〜、祐一、うるさいよ〜…」
 いちかばちかの特攻は攻を奏し、名雪は目を覚ました。それにしても、あれだけの目覚まし音で目を覚まさないというのに、私の叫び声では簡単に目を覚ますものだ…。
「起きた…、正に奇蹟…」
「わっ、どうして祐一が目の前にいるの?」
「それは、お前を殺す(C・V緑川光)…じゃなくてお前を起こしに来たからだ」
「もう〜勝手に人の部屋に入らないでよ〜。私、一応女の子なんだよ〜」
「学校に間に合わせる為だ。悪く思うな(C・V緑川光)」
「学校…?わっ、もうこんな時間…。祐一、着替えるから部屋から出ていって!」
「いや、折角だから見物して行く」
「も〜、恥ずかしい冗談、言わないでよ〜」
「冗談では無い!!(C・V池田秀一)」
と答えようと思ったが、後が怖いので、素直に部屋から出る事にした。


「おはようございます、秋子さん」
 下に降り、朝食の準備中の秋子さんに声を掛ける。
「おはようございます、祐一さん。名雪はもう起きましたか?」
「ええ、苦労しましたが、何とか起こしました」
「そうですか、それは良かったです。名雪、いつも遅刻ギリギリにしか起きて来ないのです」
「ところで秋子さん、この家から学校まで、どれ位掛かるんですか?」
「そうですね…。歩いて1時間位です」
「え!?」
 そう訊き、私は焦りを隠す事が出来なかった。現在、時計の針は7時35分を指している。大体学校が始まるのは8時20分〜30分辺りだと相場が決まっているのだから、このままでは遅刻確定である。
「大変だ、早く朝食を取らなきゃ」
「心配いらないですよ。私が車で学校の近くまで送っていきますので」
 焦る私をなだめるように、秋子さんが言った。
「え?秋子さん、車運転するんですか?」
「ええ。この街はバスの本数も少なく、仕事場は北上川を挟んだ西側に集中しています。そういう事情から、この街で暮らしていくには、車は必須なのです」
 言われてみれば、家に車が置いてあった気がする。
「車があるのか…。じゃあ、まだまだ余裕だな。目覚まし、早くかけ過ぎたかな…」
「ただ、今の時間帯は通勤、通学ラッシュで道が混むので、そろそろ家を出ないと学校に間に合わないですね」
「それを早く言ってくださいよ〜」
 結局急いで朝食を取る羽目になり、家を出たのは7時50分を過ぎた辺りだった。


「やはり渋滞していますね…」
 橋を渡る前の坂に差し掛かった辺りで、秋子さんがそう呟く。この橋を渡ってすぐの所に信号機があるのだが、そこを右折した所に中学校があるらしく、その登校時間と合い重なり、渋滞が発生しているとの事だ。
「名雪がもう少し早く起きてくれれば良いのですが…」
「努力はしているよ〜、お母さん」
 最終的に橋を渡り終えたのは8時10分過ぎであった。この後、あと10分位で学校に着くとの事だが、今度は高校前の坂で渋滞になるらしい…。
「あら、今日はもうこんな所で渋滞が始まっていますわね…」
 397号線を左折し、大通りに入り、343号線との交差点を過ぎた辺りで渋滞に巻き込まれたのである。
「そういえば、今日は月曜日でしたわね。困りましたわね…」
と、バックミラー越しに、全然困っていない顔で微笑んでいる秋子さんの顔が見えた。こういう時は、焦らず冷静に状況を把握する能力が問われる。流石は秋子さんと言うべきであろう。
「お母さん、今日はここまででいいよ」
 渋滞から抜け出し、例の坂に辿り着いた時は、既に8時20分を過ぎていた。
「そう。私は別に構わないけど。では、気を付けて行ってくださいね、名雪、祐一さん」
「うん、行ってくるよお母さん」
「秋子さん、どうも有り難うございました」
 そうして私と名雪は秋子さんに別れを告げ、学校への道へと就く。
「名雪〜、学校まであとどれ位あるんだ?」
 走りながらそう訊ねると、あと700〜800m位だと答えてくれた。
「荷物を背負った状態だから、走ってもあと2〜3分は掛かるな…」
「大丈夫だよ、私走るの好きだもん」
「そういう問題じゃない気がするが…」


「遅い!遅刻ギリギリだぞ!新学期早々そんな態度でどうする!!それでもお前は春菊聖大先生の娘か!」
 学校に着いた直後、そんな檄が飛んで来た。なれない雪道を走りながら前方を見上げると、齢50歳位で、眼鏡を掛け、後頭部少し薄い、先生らしき男が立っていた。
「何だ、春菊さんって学校の先生だったのか?」
「うん、私はよく覚えていないけど、この学校の先生をやっていたんだって」
 走りながら名雪とそんな会話を交わす。
「すみません、守(まもる)先生」
 檄を飛ばしていた男の前で立ち止まり、名雪が頭を下げる。
「全く、お前の父親は遅刻など一度もしなかった聖人君主な先生なんだぞ!ん?見掛けない顔だな、転校生か?」
と言い、守という先生は私を見つめた。
「はい、今学期からこの学校に編入の、相沢祐一という者です」
「おお、春菊聖大先生の妹君である、雪子さんの御子息か」
「…ええ。あと、職員室に赴きたいのですが…。」
「職員室には私が案内しよう。とりあえず今は職員玄関から校舎に入ってくれ」
と、守先生は目の前に見える玄関に、私を手招いた。
「有難うございます。じゃあな、名雪。俺はとりあえず職員室に行って、編入先のクラスを訊いてくるよ」
「うん、同じクラスになるのを楽しみにしているよ。わっ、気が付いたらあと1分で遅刻確定のチャイムが鳴るよ。じゃあ、また後でね、祐一」
 そう言い残し、名雪は職員玄関の奥の方に走り去って行った。
「さあ、ここが職員室だ」
「案内して下さいまして、どうも有難うございます」
と、私は深々と礼をする。
「言い忘れたが、私は2学年主任の天海(あまみ)守だ。困った事があれば遠慮せずに私に相談してくれ」
「はい、心に止めておきます」
 ドアをノックし、「失礼します」と言い、私は職員室の中に入る。
「何だ。遅刻したのか?新学期早々たるんでいるぞ!…と、見かけない顔だな?」
 齢30後半という感じで、目付きが鋭く、頭の前方がやや薄くなっている先生が、私に声を掛けてきた。
「一成(いっせい)先生、今日から編入の雪子さんの御子息だ」
と、私の変わりに守先生が事情を説明した。それにしてもこの守という先生、やけに春菊さんや母さんの名前を強調するものだ…。
「道理で見掛けない顔な筈だ。私は前原(まえばら)一成。君が編入するクラスの担任だ」
「相沢祐一です、宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しく。では、時間も時間だし、これから教室に案内するぞ」
「おっ、一成先生、噂の編入生ついに到着か。全く、春菊先生関係の生徒を2人も掛け持つなんて、羨ましい限りですよ」
 一成という先生に連れられ、職員室から退室しようとした矢先、後ろの方からそんな声が聞こえてきた。
「睦(むつみ)先生、あなたのクラスにも該当者がいるでしょうが」
「あいつか…、あいつは駄目だ。應援團になるものだと思って期待に胸を躍らせていたら、問題行動をよく起こすし、挙句の果てには、應援團に所属しないまま卒業だ」
「春菊さんの関係者?どういう意味ですか?」
 20代後半のとぼけた感じの、睦という先生と一成先生の会話に、思わず疑問を投げ打つ。
「ああ、詳しい事は教室に向かう間に話す。とにかくHRも始まる事だし、教室に向かうぞ」
「あっ、俺は乙姫(おとひめ)睦だ。3年の先生だが宜しくな」
「覚えておきます」
 そして私は一成先生に連れられて、職員室を後にした。
 

「私が受け持っている関係者というのは、お前と名雪の事で、睦先生が受け持っている関係者というのは、春菊先生の推薦者だ」
「推薦者?でも、春菊さんは10年前に亡くなったと聞きましたが、そんなに昔に推薦したって事ですか?」
「まあ、そういう事になるな」
「それにしても名雪と同じクラスか…。ところで、春菊さんはともかく、何故私の母の名前まで話の話題に出てくるのですか?」
「何だ、お前はこの学校における自分の母親の、数々の業績を知らないのか?」
「ええ、母の学生時代にはあまり興味が無く、ここの生徒であった事位しか知りません」
 一成先生の話によれば、母さんは生徒時代この学校で生徒会長を勤めていたとの事だ。そして春菊さんは、学生時代に應援團副團長を勤めていたとの話も訊いた。その2人に春菊さんの親友であった團長を含め、その3人が在学中の時が、この学校の最盛期だったという事らしい。
「その團長だった方も既に亡くなっていて、今健在なのは雪子さんだけだ。その團長にも相祐一と同年代の子供がいると訊いた事があるんだが、この学校には入学しなかったようだ。出来るならその子も受け持ちたかった所だ…」
 そんな事を話ながら、教室に向かって行った。


「編入生を紹介する。東京からやって来た相沢祐一君だ」
「相沢祐一です。宜しくお願いします」
 先生の紹介で教室に入り、自己紹介をする。辺りを見回し名雪の姿を探す。その過程で私の視界に入って来た映像は、驚愕すべきものだった。
 ブレザー姿の男子生徒もいれば、学ラン姿の男子もいる。女子も似たようなもので、名雪と同じ制服を着ている人もいれば、よく見かける紺のセーラー服姿の女生徒もいる。
「相沢、お前は後ろの方に空いている机に座ってくれ」
「あ、はい」
 一成先生の呼び掛けで我に帰り、私は指示通り空いている席に向かった。私はそこでさらなる衝撃を受けた。
 ボロボロで潰れた帽子、継ぎ接ぎだらけのボロボロの学ランを身に纏い、右腕に旭日旗、左腕に「應援團」と刺繍された腕章を付け、裸足で椅子に座り込んでいる男の姿が見えた。しかも、空いている机の真後ろである。
(凄い格好だな…、この学校の番長か?これは関わらない方が得策だな…)
 そう思いながら席に座る。
「同じクラスになれたね」
 奇妙な巡り合せか、右隣は名雪だった。
「よっ、祐一」
 席に座り、前を見ようとした直後、後ろの例の男に声を掛けられた。
(ま、まずい、早くも目を付けられたか…)
一瞬そう思い掛けたが、その男の声は何処かで聞き覚えのある声だった。
「ひょっとしてお前、潤か!?」
 そう訊くとその男はすかさず頷いた。
「何だ〜、誰かと思えば潤か〜。それにしてもお前凄い格好だな…」
「何だ、知らないのか?これはバンカラといって、この学校の應援團の正装だ。この辺りじゃ有名だし、以前テレビでも紹介されたぞ?」
「あ…」
 言われてみれば、そんな特集を見たような気がする。あの時は流して見ていたが、成程、冷静に考えれば、あの時テレビで見た光景は、確かにこの学校だ。急いで校舎内入ったものだから、気が付かなかっただけである。
 その後始業式の為、体育館へと向かう。日章旗を見上げながら高らかに歌う「君が代」と、その旗に深々と敬礼する校長先生の姿が、何とも印象深かった。


「名雪、どうして男女共、2種類の制服があるんだ?」
 体育館から戻る途中、ふとそんな疑問を投げ掛ける。ちなみに私が着ているのは、スタンダードな学ランである。
「それは俺が答えてやろう」
と、潤が会話に入り込んで来た。
「実はとんだ手違いで、悪の組織の使者が生徒会長になっちまってな。その生徒会長が突然制服を変えると言い出してな。学ランを着ているのはその反対派の生徒だ」
「一応訊いておくけど、悪の組織って、やっぱ、狂惨党辺りか?」
「まあな。まあ、そいつも生徒会長になるまでは、何処にでも居そうなガリ勉君ていう感じの生徒でな。生徒会役員選挙の時、会長立候補者が他にいないんで、俺も思わず信任投票しちまった。それで着任早々、制服を新しくすると言い出して来た。まあ、制服を変える事自体は俺も賛成だったけど、四天王が黙っていなくてな…」
「四天王って何だ?」
「校長先生の座間昭治(ざましょうじ)を筆頭とし、2学年主任の守先生、俺らのクラス担任の一成先生、そして3学年の先生の、睦先生の4人の事だ。この内守先生以外はこの学校OBで、校内では特に発言力が高い。そして、守先生は詳しくは知らないが、名雪の親父さんを神聖視していて、自分が春菊さんの意志を継いだのだと豪語しているんだ。それでOBでも無いのに妙に発言力が高い。まあ、ただ単に強気なだけなんだが…」
「成程…」
「で、何とかその先生達を説得させて、制服の改善には踏み切れたんだが、馬鹿生徒会長が調子に乗って、今度はバンカラを廃止すると言ってきた。それは流石に俺を含めた應援團も大反対でな、明日の生徒総会で廃止か否か、決戦投票する事になっている」
「色々と大変だな…。それにしても、名雪の父さんって神聖視する程、偉大な先生だったんだな」
 話題を変え、名雪にそう話し掛ける。
「うん、守先生曰く、お父さんは聖人君主で、蓋世之材、挙句の果てには国士無双だったとか。一成先生や睦先生も、とにかく凄い先生だったってよく言っている」
「やれやれ、道理で俺に目を付ける筈だぜ」
「私も最初の頃は大変だったよ。何をやってもいつもお父さんの名前ばかりで、私の事をちゃんと評価してくれないんだ…」
「偉大な親を持つと苦労するな〜」
「うん、それでも私は、この学校に入って良かったと思う。この学校に入ったお蔭でよく知らないお父さんの事、色々知れたし。でも…」
「過大評価し過ぎだな、名雪は名雪なのに」
「えっ!?」
「例え父親が偉大であっても、名雪は名雪。そうだろ?」
「うん…、祐一…ありがと…」
「有難うって言う位の事か?俺は当たり前の事を言ったまでだぞ」
「それでも祐一の口から、『私は私』って聞けたのは、とっても嬉しいよ…」

…第八話完

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